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どんなふうに死にたい? 書評:満足死 寝たきりゼロの思想

3年前に娘が生まれて、2年前にじいさんが死んで、近頃カラダのムリがきかなくなってきたからだと思うのだが、自分の死が以前より身近になった気がしている。いろいろ考えるときがたまーにある。助からない病気の告知をどうするかとか、臓器提供だとか、葬儀、墓地、遺産(ないけど)・・・。

しかし「どう死にたいか」はまったく考えたことがなかったし、本書を読んでそのことに気がついたとき、私がいかにショーモナイことばかり考えていたのかに気づき、恥ずかしくなった。

「どんなふうに死にたい?」

と聞かれたらどう答えるだろう。映画やテレビドラマの1シーンのようなものを思い浮かべて「・・・って感じかなあ」が関の山だ。まあ、それでも良いと思う。ところが、本書ではこれで終わらない。

「その自分が望む死を実現できそう?」

こんなことを聞かれたような気がした。

本書はいきなり、主治医が通夜の席で遺族に対し、故人の死亡までの経過を説明するところから始まる。「なにもいまやらなくたって・・・。」と私でなくとも、誰もがそう思うであろう。主治医の名は疋田善平(ひきた よしひら)、80を超える年齢だが現役の医師だそうだ。疋田は「家族の死を師として、自分の死を考えてもらう」ために通夜の席でわざわざ話をするという。

「尊厳死」という言葉はよく耳にするが、疋田が提唱する「満足死」とは何か、それを理解するために著者は何年も疋田のもとを訪れて、地域医療の現場、特に過疎地のそれを見続けて来た。疋田は満足死は「一人称の死」、尊厳死は「二人称、三人称の死」と説明する。

正直、私には満足死と尊厳死の違いがわからなかった。たぶん「尊厳」の定義が違うからだと思う。私に言わせれば、本人が「こういう死に方をしたい」と言い残していて、それが実行できれば満足死とも尊厳死とも言えると思う。一人称か二人称かは表現の違いだと思うのだが。

人の死はなぜ扱いが難しいのか。基本的にはリビング・ウィルリビング・ウィル のとおりにすればそれで良いはずだと思うのだが、私はこのことにいつも悩む。しかし、本書にある疋田の言葉でその理由の一端が垣間見えたような気がした。その箇所を引用しよう。

(満足死 寝たきりゼロの思想 より)

人間は死ぬまで生きたいんです。死にゆく人の心はものすごく変わります。リビング・ウィルに書かれたとおりにすれば、もちろん問題はありませんが、元気なときに署名したからといって、死に直面したときも同じかというと、そんな単純じゃないんです。

本書は、少なくとも私から見ると、ものごとをハッキリさせることはできていないが、それでいて全般的な理解を深める一冊と言える。ただ、タイトルの「寝たきり」ウンヌンはどうかなあ。満足死とは直接関係ないと思うけど。

どういう風に死にたいか、これから少しずつでも考えてみようと思う。

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