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読むから、読めるようになる 書評:読みの整理学

著者は外山滋比古外山滋比古 、以前このブログで紹介した「思考の整理学」の著者である。外山の文章は読みやすく、それでいて媚びていないところがすごく好きだ。本書は「読む」ということがどういうことなのかを考察するものだ。

なぜ、外山がこのようなことを考えることにしたのか。それは中学生の教科書に外山の文章が掲載されたところから始まる。

もともと中学生には難しいと思っていた文章だったが、編集のたっての願いでいくらか直して掲載した。ところが、これを読んだ中学生のクラス一同が「この文章はおかしいから訂正して欲しい」と外山に手紙を送って来た。

その槍玉に挙がった文章を引用しよう。

ことばとそれがあらわすものごととの間には何ら必然的な関係はない(読みの整理学 より)

説明の具体例として「イヌイヌ 」が用いられているのだが、ことばとモノに必然的な関係があれば、小動物は世界中どこでも「イヌ」と呼ばれなくてはならない。英語で「Dog」と呼ばれてはならないということだ。

外山はこの一件から「読む」ということについて考えをめぐらせて、やがて「わかることは読めるが、わからないことは読めない」という考えに至る。・・・だんだん耳の痛い話になってきましたよ。

件のクラス一同が「間違っている」と判断したのは、自分では「文章を読めている」と思っているからだ。「読めるのにわからない=間違っている」という単純な図式は、ある意味微笑ましくもある。

本書では「既知を読む」ことと「未知を読む」ことを区別して考え、それぞれがどういうことなのか、また読む能力が発達する理由を教育や社会の面から考え、「未知を読む」にはどうすれば良いかまでを扱っている。特に素読の効用を重視している。

私自身素読というものはあまりやってこなかった。ただひとつだけ、中学の英語で「暗唱」というのがあった。英語の教科書をまるごと暗記するのである。訳ができるかどうかは問われず、教師の前で1頁音読できればそれで良く、期末評価に強く影響を与えるものだった。

中学生のときはその必要性はまったくわからず私は全然やらなかったのだが、いま振り返ってみると暗唱で点数を稼いでいた生徒は英語以外の成績も良かったように思うし、偏差値の高い大学に入ったような気がする。

私はいま、大学云々を抜きにしても素読は必要なのではないかと思っている。それは娘を見ているからかもしれない。

娘はいま「ひらがな」を読めるようになった。しかし読んでいる字の意味がわかっているわけではないことも多い。それでも一字一字を指差しながら読むから、読めるようになる。

中学の同級生で水泳が上手なヤツがいて、ソイツは小さい頃、親にプールに突き落とされたそうだ。ようやくプールから這い出たと思ったらまた突き落とされる。泣いても喚いてもドボーン。またドボーン。

そうしているうちに泳ぎがうまくなったそうだ。泳ぎを教わったわけでもないのに泳ぎが得意になった。理屈なんかないけど、でも、わかる。

・・・その後、外山のもとに件のクラス一同からまた手紙が届いたそうだ。掲載された文章をクラスとして欠陥教材と認定し改めて訂正を求めるという内容で、さすがに無視する訳にもいかず「読めていないこと」をキッチリと教えてあげたそうである。

それで彼らが先の文章を読めるようになったとは思えないが、大人にはなっただろうなあ。

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